ひとつの巣には、何千、何万というアリがくらしています。ところが、エサをさがしに外へ出ていくのは、その中のほんの一部だけ。残りの多くは、巣の外に出ることもありません。
それなのに、巣じゅうのアリも、自分で食べに行けない赤ちゃん(幼虫)も、ちゃんとごはんにありつけます。
そのカギは、アリが口と口を合わせて液体のエサを受け渡す「口うつし(トロファラキシス)」と、エサを自分のためではなくみんなのためにためておく「社会胃(しゃかいい)」という、よくできたしくみにあります。
この記事では、その入口の不思議から、奥にある原理までを順番に見ていきます。
外に出ないアリも、ちゃんと食べている
アリの巣を思いうかべてみてください。
地面の上を歩きまわってエサを運ぶアリは、いかにも「はたらきアリ」らしい姿です。でも、巣の中をのぞくと、外に出ないアリのほうがずっとたくさんいます。
卵や幼虫の世話をするアリ、巣のそうじをするアリ、奥でじっとしているアリ。エサさがしに出かけるのは、コロニー全体のごく一部なのです。
ふしぎなのはここです。
自分でエサを取りに行かないアリも、口の小さな幼虫も、おなかをすかせたまま放っておかれることはありません。外で集めてきたわずかなエサが、どうやって巣のすみずみまで、みんなに行きわたるのでしょうか。

「口うつし」って、何をしているの?
外でエサを見つけたアリは、あまいしるや水のような液体のエサを、その場でゴクゴクと飲み込みます。
そして巣に帰ると、おなかにためてきた液体を、口から少しずつはき戻して、仲間の口に直接わたします。これが口うつし(トロファラキシス)です。
受け取ったアリは、その一部をまた別の仲間へ口うつしします。こうして、一匹が運んできた一口のエサが、口から口へと次々に受け渡され、まるでバケツリレーのように巣じゅうへ広がっていきます。
外に出ないアリも、自分で食べられない幼虫も、この受け渡しのおかげでごはんにありつけるのです。
おなかがすいたアリは、相手の体を触角でちょんちょんとたたいて「ちょうだい」と合図します。すると、エサを持っているアリが口を開いて分けてくれます。言葉のかわりに、触角と口の動きで「おすそ分け」がやりとりされているのです。

どうして、運んだエサを仲間に分けられるの?
ここで、ひとつの疑問が出てきます。
飲み込んだエサは、ふつうなら自分の胃で消化されて、なくなってしまうはずです。それなのに、どうして仲間に分けられるのでしょうか。
その秘密は、アリのおなかの中にある「社会胃(しゃかいい)」というしくみです。アリの体には、飲み込んだ液体を一時的にためておく素嚢(そのう)という袋があります。
エサ係のアリは、運ぶための液体をこの素嚢にためておき、すぐには自分の消化に回しません。みんなで分け合うための「共用のタンク」として使うので、これを社会胃とよぶのです。
素嚢(社会胃)と、本当に消化をする胃(中腸)のあいだには、前胃(ぜんい)という小さな弁(バルブ)があります。この弁が、「自分が生きるために消化に回す分」と「仲間に分けるためにためておく分」を仕切っています。
だからアリは、運んできたエサを消化してしまわずに、口から吐き戻して仲間に分けることができるのです。
ここで気をつけたいことがあります。アリは「みんなにやさしくしよう」「仲間思いだから分けてあげよう」と考えて分けているわけではありません。
おなかがすいたアリが合図を出し、エサを持ったアリがそれに反応して口を開く。一匹一匹は、こうした単純な決まりに従っているだけです。
それでも結果として、エサはコロニー全体にうまく行きわたります。仲間思いに見える「おすそ分け」も、その正体は単純な反応の積み重ねなのです。

口うつしは「ごはん」だけじゃない
ここから先は、少し中学生や大人向けの深さです。
口うつしは、長いあいだ「エサを分けるための行動」だと考えられてきました。もちろんそれが基本です。けれど近年の研究で、口うつしで受け渡されているのは、エサだけではないことが分かってきました。
巣のにおいをそろえる
アリは、仲間とよそ者を「におい」で見分けています。同じ巣のアリどうしが口うつしをくり返すと、体の中の物質が混ざり合い、コロニー全体のにおいが少しずつそろっていきます。
口うつしは、エサを配るだけでなく、「わたしたちは同じ巣の仲間だ」という共通のにおいをつくり、保つ役わりも果たしているのです。
育ちを左右する「合図の物質」
さらに、研究者がアリの受け渡す液体を調べると、その中にはホルモンやタンパク質、さらには「小さなRNA」とよばれる物質まで含まれていることが分かりました。
ある実験では、大人のアリが幼虫にわたす液体に、成長に関わるホルモン(幼若ホルモン)を足してみたところ、その幼虫が無事に大人まで育つ割合が高くなりました。
つまり口うつしは、ただおなかを満たすだけでなく、「次の世代をどう育てるか」を巣ぜんたいで調整する、いわば体から体への通信にもなっているらしいのです。ただし、この合図の物質がどこまで大きな役わりを持つのかは、まだ研究のとちゅうです。
どの種類のアリでもまったく同じとは限らず、これからさらに分かっていく分野だと考えられています。

むれの仲間に、どうやって食べ物を分けるの?
集めた食べ物を、自分だけで食べずに仲間や子へ分ける——これはアリだけの話ではありません。「むれの仲間に、どうやって食べ物を分けるの?」という同じ問いで、ほかの生きものともつながります。
ミツバチ:同じ「口うつし」でみつを分ける
アリと近い仲間のミツバチも、まったく同じ口うつし(トロファラキシス)を使います。
外でみつを集めてきたハチが、巣の中の仲間に口うつしでみつをわたし、それがまた次の仲間へと配られていきます。さらにミツバチも、口うつしを通じて巣のにおいや、エサがどれくらいあるかという情報まで伝え合っていると考えられています。
オオカミ:子が親の口をなめると、ごはんが出てくる
オオカミの子は、狩りに行けません。
おなかをすかせた子オオカミは、帰ってきた親の口のはしをペロペロとなめます。すると親は、おなかにためてきた肉をはき戻して、子に与えます。
「相手にふれて合図し、相手がはき戻して分ける」という流れは、アリの口うつしとよく似ています。
ハト:おなかの袋でつくる「ミルク」
ハトには、アリの素嚢と同じ「そ嚢」という袋があります。
ハトはこのそ嚢のかべから、栄養たっぷりの「ピジョンミルク」という特別な食べ物をつくり出し、ヒナの口へ吐き戻して与えます。エサを「ためる・はき戻して分ける」袋を、子育てに役立てているのです。
口うつし、なめての合図、おなかの袋でつくるミルク——やり方はちがっても、「集めた栄養を、体から体へ受けわたして仲間や子を支える」という共通の答えにたどり着きます。これが、むれでくらす生きものたちに共通するおもしろさです。

ことばの説明
- トロファラキシス(口うつし)……アリやハチなどが、口と口を合わせて液体のエサや合図の物質を受け渡すこと。一匹が集めたエサを、巣じゅうに配るしくみです。
- 社会胃(しゃかいい)……飲み込んだ液体を、自分の消化に回さず、仲間に分けるためにためておく胃のはたらき。アリでは素嚢がこの役わりをします。
- 素嚢(そのう)……飲み込んだ液体を一時的にためておく袋。アリでは「社会胃」として、口うつし用のエサをためる場所になります。
- 前胃(ぜんい)……素嚢(社会胃)と、本当に消化をする胃(中腸)のあいだにある弁。仲間に分ける分と、自分が消化する分を仕切ります。
- フェロモン……生きものが体から出す、においの合図。アリは口うつしなどを通して巣のにおいをそろえ、仲間とよそ者を見分けます。
まとめ
- 巣の多くのアリは外に出ません。それでも、口と口でエサを受け渡す「口うつし(トロファラキシス)」によって、エサは巣じゅうに行きわたります。
- 運んできたエサを消化せずに分けられるのは、「社会胃(素嚢)」にためておき、前胃という弁で自分の消化分と仕切っているからです。
- 分け合いは「やさしさ」ではなく、おねだりの合図と、それに反応して口を開く——という単純な決まりの積み重ねです。
- 口うつしは、エサだけでなく巣のにおいや、育ちに関わる合図の物質まで運んでいることが研究で分かってきました(くわしいことはまだ研究のとちゅうです)。
- ミツバチ・オオカミ・ハトも、形はちがえど「集めた栄養を体から体へ分ける」しくみを持っています。
つぎに公園や庭でアリの行列を見かけたら、思い出してみてください。
一匹が運ぶ小さな一口は、そのアリだけのごはんではありません。口から口へとリレーされて、外に出ない仲間や、まだ歩けない赤ちゃんまでをも支える、巣ぜんたいの食事なのです。
アリの巣は、「ひとりで食べる」のではなく「みんなで分ける」ことでうまく回る、ふしぎでよくできた世界です。
